
俳優や、ボクシング解説者として活躍する香川照之さんの母親の事を中心に、お話していきます。
香川照之さんと言えば、実は『歌舞伎役者』でして、両親が離婚しなければ、父親の【市川猿之介】を襲名する予定だったと言われています。ですから香川さんは現在、別名を名乗っていますね。
両親に関連した話題を話していきましょう。
香川照之をシングルマザーで育てた母親は【浜木綿子】。
香川照之さんの両親は離婚していて、香川さんは母親に引き取られています。その母親こそ、【浜木綿子(はまゆうこ)】さんなのです。
浜さんは、元宝塚歌劇団『雪組』で活躍したお方。なんと、入団するときの成績が3位だったといいますから、実力があったようです。1953年から1961年まで在籍し、活躍しました。
その後は女優として主演を張るなど日本の有名人に。女優として活躍しながら香川さんを一人で育て上げていますから、本当に苦労人ですね。
現在は女優として活動せず、のんびりと生活しているようです。
浜木綿子の宝塚歌劇団時代と女優時代。美人すぎ。
上記の動画、かなり懐かしい気持ちになりますね。時代を感じます。
本当におキレイです。宝塚歌劇団に入団する人の習い事は、バレエや声楽を習う人が多いとのことですが、浜さんにそのような情報はありません。という事は、本当にセンスがあったのでしょうね。
先ほどの入団成績は3位と言いましたが、64人の中ですからね( ゚Д゚)凄すぎます。
…
浜さんは香川さんが3歳の頃に離婚しました。その後は女手一つで育て上げたのですが、香川さんが東大に行った理由は母親にあるという情報がありました。
どういう事か、調べてみることにしました。
香川照之が東大に行った理由に母親が関係していた?
香川さんは、東大を主席で卒業しています。その事をあまり知らない人も多いのでは無いでしょうか?それもそのはず、香川さんは東大を卒業した事を黙っていたから。
理由は、「俳優活動と東大は関係ない」から。カッコ良すぎですね。
浜さんは離婚した旦那さんを恨むぐらいの気持ちを持っていたようで、その旦那さんよりも立派な男に育て上げるために、教育熱心だったと言われています。
…因みにその旦那さんの出身大学は【慶應義塾大学】ですから、香川さんが東大に入学した時、浜さんは大喜びだったそうです。
香川照之の父親は【市川猿翁】。
上記の方が、香川さんの父親である【市川猿翁】さんです。本名は【喜熨斗 政彦】です。
1965年に浜さんと結婚したのですが、僅か3年間で離婚してしまいます。それも、彼が家を出て行ったのは香川さんが1歳の頃。という事は、結婚してから2年程しか経っていないという事になりますよね。
この離婚の原因は何だったのでしょうか。少し複雑な気持ちになるでしょうが、読みたい人は読んでください。
香川照之の母親と父親の離婚理由。
先ほど、香川さんが1歳の頃に父親である猿翁さんが出て行ったと言いましたよね?出て行ってからどこに行ったのかと言いますと、なんと別の女性の元でした。しかもその方、子供が2人いたのです。そんな中同棲を始めてしまうという最低な行為をしてしまいます。。。
最終的にこれが離婚のキッカケとなってしまった訳ですが、この女性との関係を話していきましょう。
香川照之の父親【市川猿翁】が再婚した藤間紫とは。
猿翁さんと同棲し、そして再婚を果たしたこの女性の名前は【藤間紫】と言います。
この女性と同棲を開始してから、浜さんは旦那と面会していますが、「とにかく別れてくれ」と一点張り。香川さんに対しても「あなたは息子ではありません」と発言し、香川さんを悲しませています。
自分の実の息子にそんな発言をしてしまうとは、、、聞いているだけで心が痛い。
藤間紫さんは、猿翁さんよりも16歳も年上だったそうです。結婚した時の年齢は猿翁さんが”60歳”で、紫さんが”76歳”。そこまでして結婚する意味はあるのでしょうか。
…
...どうやら猿翁さんが小学校の頃から知っていて、お互いに恋心を抱いたという噂もあります。
「その年の差で恋とはどういう事????」
と思うでしょうが、私も同じ気持ちです。そして、こんな裏話もあります。
分かりやすく説明すると、香川の母である浜木綿子は香川の父にだまされていたのです。
香川の父親は浜と結婚する前から藤間紫と男女の関係にあったが、藤間紫はもう子どもを産める歳ではなかったので後継ぎを作るためにも容姿や頭の良い浜木綿子と結婚したと推測できます。
上記はあくまでも推測ですが、納得できる気もしますね。もしこの話が当たりなら、浜さんの思いは心痛ですね。。。
しかし、藤間紫さんは香川さんと猿翁さんの間を取り持ってくれたりしたそうですから、何とも言えない気持ちになります。
そして藤間紫さんは85歳で亡くなりました。その後、猿翁さんは違う女性と交際を開始しています。
香川照之が襲名。息子の政明も歌舞伎の世界に。
歌舞伎界46歳の新人、俳優香川照之さんが市川中車襲名し、今日初舞台。3歳から始まるのが普通な歌舞伎界にこの年で入門するのは、どれだけの覚悟が必要かと思うと、歌舞伎が分からなくても応援したくなりますね。 pic.twitter.com/BCEBRMBn
— Tang Hefeng (@tangtangbonito) June 5, 2012
香川さんは、歌舞伎の世界に入るという事で、会見を開きました。その時に、こう発言しています。
政明が生まれ、曽祖父、祖父、父の名の『政』をつけた時から、長男がいる以上この船(歌舞伎界)に乗らないわけにいかない、乗らずに死ねないと思った
香川さんが歌舞伎の世界に入るという事で、父との関係はどうなったのかと思う人もいるでしょう。
実は香川さん、藤間紫さんが亡くなってから再び交わるようになったそうです。息子の政明君が産まれた事も交わるようになったキッカケの一つのようです。
そして歌舞伎の【中車】を継いでもいいかと猿翁さんに相談し、晴れて歌舞伎役者になる事が出来たという訳です。
浜さんはその事を許したと言われていますが、とても複雑な想いだったでしょう...
香川照之が市川猿之介を襲名しなかった理由は両親の確執?
香川さんは【猿之介】ではなく、【中車】を襲名しています。本来なら、父親の【猿之介】を継ぐのが普通ですが、何故その名を襲名しなかったのでしょうか。
それには両親の確執が原因のようです。香川さんは歌舞伎と縁のない浜さんに引き取られ、育てられていますからね。もし父親の元で育っていればその名を襲名したのでしょうが、当時「二度と合わない」と言われていますし、継がせる気もなかったのでしょうね。
ですので、従弟である市川亀治郎さんが【猿之介】を襲名したという訳です。
香川照之は現在、父親と一緒に住んでいる?
香川さんは2011年に、猿翁さんと同居を始めました。その時、自身の母親である浜さんに「一回来てくれよ」と言っていたそうですね。ですが、複雑な想いが絡み合った元旦那の元へ行くのは気が引けるのか、一度も行く事はありませんでした。
そして、、同居を始めてから僅か1か月で離れることに。どういう事かと言うと、猿翁さんがパーキンソン病で入院を始めたからと言われています。
しかし退院後も交際している女性と二人で生活を始めたといいますから、もしかすると息子に迷惑を掛けたくないと思った可能性もあります。
短い期間の同居だったようですね(>_<)
香川照之の母親は離婚後、彼氏を作っていた?
実は、市川家をずっと想っていたとされる浜さんにも恋をした時期があったそうです。お相手はお相撲さんのでタレントの【龍虎】。
彼は最終的に浜さんと別の女性と結婚していますが、その前に浜さんとの結婚を考えていました。猿翁さんと離婚してから7年後に交際を開始し、それから約10年もの間、愛を育んだと言われています。
しかし何故、浜さんと結婚するに至らなかったのか。それは龍虎さんが香川さんに懐かなかったからと言われています。
10年間の交際期間の間に、香川さんは小学生から大学生に成長しました。そして父親として認める事が出来なかったのか、浜木さんに「別れたら?」と発言したそうです。
その言葉が原因で浜さんは別れを告げに行ったそうですね。ですので、猿翁さんと離婚してから、再婚を果たすことなく、現在まで来ている。という事です。
まとめ。
・香川照之の母親は元宝塚歌劇団出身の【浜木綿子(はまゆうこ】。
・香川照之が【市川猿之介】を襲名しなかった理由は、父親と母親の確執が原因。香川照之は歌舞伎と縁の無い母親に引き取られているため、襲名出来なかったと言われている。
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