
個人的に日本ボクシング界の歴史ではナンバーワンだと思う、ファイティング原田さんの紹介です。現在原田さんはボクシングジムの経営をしています。
そして『世界チャンピオン会』の最高顧問などを務めています。これからも一生ボクシングに関わって生きていくのは間違いありません。
彼のこれまでの経歴やマイクタイソンとの関係を紹介していきましょう。当時の視聴率もえげつないです。
ファイティング原田の現在は『原田ボクシングジム』会長!
ファイティング原田さんの本名は『原田政彦』です。ボクシングを始める前は、米屋さんの配達をしていました。当時、父親が病気がちだったので、父親の代わりに家計を支えていたのです。原田さんはその仕事の途中にボクシングジム『笹崎ジム』を見ていました。そのジムこそ原田さんが後に通う事になるジムです。
原田さんは勉強が得意では無かったので、努力して金を稼ごうと想い、それでボクシングで一番になる事を決めています。
彼は『狂った風車』というニックネームで活躍していました。打って打って打ちまくるファイトスタイルからその愛称が付いたのです。生年月日は1943年4月5日ですので、2020年現在は77歳ですね。
冒頭言いましたが、原田さんは現在は【原田ボクシングジムの会長】をしています。
画像出典元:『https://boxmob.jp/sp/gym/gym.html?gid=80』

やっぱりボクシングジムの会長になっててんな。
ですね。やはり元世界チャンプは後進の育成に励むことが多いですね。
原田さんはプロボクサーを引退してから21年間『日本プロボクシング協会会長』を務めましたが、現在はそのポジションから離れ、協会顧問に就任&『世界チャンピオンの会』最高顧問です。

なんかすげえな。
ですね。その事実だけを知るだけで原田さんが偉大だという事が分かると思います。昔の話になりますが、原田さんが現役だったころ、同じジムのボクサーに『たこ八郎』さんがいて、東日本新人王トーナメントの準決勝で同門対決なるかという出来事がありましたね。
画像出典元:『https://dot.asahi.com/dot/2019072200047.html』

あったなー。懐かしい。でも、たこ八郎は断ったな。
お、知っていましたか。そう、たこ八郎さんは原田さんとの戦いを拒否し、対戦を辞退していますね。やはり、同ジムの仲間ですから、情が湧いたのでしょう。

せやろな。まあ、ファイティング原田が現在何をしてるか分かったから、タイソンとの話を聞かしてくれ!
分かりました。
【身長】ファイティング原田とマイクタイソンとの関係。
ファイティング原田と検索すると『ファイティング原田 タイソン』とサジェストワードが出てきます。
この2人に何か接点があったのかというと、
あります。
タイソンと原田さんがプロボクサーだった時期は被っていませんが、タイソンは参考に原田さんの試合動画を見ていたという事があります。
タイソンの才能を開花させた『カス・ダマト』さんが勉強の為に見せたのです。その動画での原田さんのラッシュを見て、タイソンは頭にイメージしたという事です。
タイソンはヘビー級としては小柄だったので、原田さんのファイトスタイルをリスペクトしていたようです。
そんな事があったのかと驚いた人も居るかと思いますが、2人は対面もしています。タイソンが試合の為に来日した時には、「原田に会いたい」と発言、その発言を聞いた原田さんはタイソンが宿泊したホテルに会いに行ったようです。
そのホテルに到着した時、タイソンは原田さんの試合ビデオを見ていたようですね。(ジョフレ戦)
ですが、こんな噂があります。現役から随分と太り過ぎた原田さんにタイソンが気付かなかったという噂です。これが本当なら原田さん可哀そうすぎです。w
ファイティング原田が残した戦績を紹介!
ファイティング原田というボクサーを知らないボクシング関係者は居ないと思いますが、それはやはりヤバすぎる戦績から来ています。そして彼は2階級制覇をしていますからね。昔の階級の数は今の時代と比べると、かなり少なく世界チャンピオンになる事が困難な時代でした。まあ、その階級の話は後程しますね。
...
原田さんがプロボクサーとして活動し出したのは1960年の時。年齢は16歳でした。彼は、それから勝って勝って勝ちまくり、25連勝を上げます。彼の武器は何といっても打って打って打ちまくる!そのために彼は『狂った風車』というニックネームが付きました。

狂ったか。w
ですね。w
原田さんは世界チャンピオンになった『海老原博幸』さんと『東日本新人王トーナメント』で戦い、見事勝利しています。チャンピオンになる素質のある人間と戦っても勝つという事、それだけ原田さんが強かったという事なんです。
その後は、フライ級、そしてバンタム級でチャンピオンになり、二階級制覇を成し遂げた原田さん。生涯戦績は『63試合56勝(23KO)7敗』です。
彼が獲得したタイトルは
- 第17回東日本フライ級新人王
- 第7回全日本フライ級新人王
- 第16代WBA世界フライ級王座
- 第5代WBA世界バンタム級王座
- 第2代WBC世界バンタム級王座
です。いまから原田さんの凄さを語っていきます。
ファイティング原田がプロだったころのボクシング界は階級が少なかった。
現在、ボクシング世界王座認定団体の主要な団体は4つ。
- WBC
- WBA
- WBO
- IBF
ですね。よくテレビでこの団体名を見るでしょう?

せやな。これは皆見た事あると思うわ。
で、現在ボクシングの階級は17階級あって、その数と4団体を合わせると68人の世界チャンピオンがいるという事になるのです。

結構おるんやな。
ですね。そして世界チャンピオンでも例外があって、『暫定チャンピオン』というのがありますね。たま~に、正規の世界チャンピオンと暫定チャンピオンが決定戦を行う時もありますね。

という事は、同団体の同じ階級に2人チャンピオンがおるって事?
そう言う事になります。
そして『WBA』には『スーパーチャンピオン』も存在します。

何それ?
説明すると、WBAのチャンピオンの時に他団体との統一戦を行い、見事勝利した場合にスーパーチャンピオンの称号が与えられます。もしそうなった場合、正規のWBAチャンピオンは空位になります。

ほな、同じ階級にチャンピオンが増えるってこと?
その通りです。
そして他にもあって、WBAの王座に就いてから5回、10回防衛した選手もスーパーチャンピオンになる事が出来ます。ですが、最近ではそれ以外の人もスーパーチャンピオンになっていますから、チャンピオンが乱立するという騒ぎになってます。
...今の時代はチャンピオンがかなり多い事がお分かりになったかと思いますが、原田さんが戦っていた時代はWBAのみ、そして階級が8つしか無かったのです!

そうなんや!ごっつい価値やな!
はい。1つの団体、そして数少ない階級の中でチャンピオンになるという事がどれだけ価値的な事か...
それに計量も今の時代の前日計量とは違い、当日計量でしたからね。そしてグローブも今の時代の8オンスではなく、更に軽い6オンス。威力もすさまじかったのです。

やばいな~。ファイティング原田が凄いと言われる意味が分かったわ。
ファイティング原田は歴代最強ボクサーだと言われている。凄さを紹介。
原田さんの凄さ、それは先ほども言ったように階級が少ない中でのチャンピオン奪取という事は分かったと思います。
それに加え、原田さんが戦った相手が本当に強い選手ばかりで、中には『エデル・ジョフレ』選手がいました。彼はバンタム級の歴代最強選手だと言われる事もあるぐらい強い選手なのですが、原田さんは2戦して2勝しています。
ジョフレ選手の戦績の中で2つの黒星があるのですが、それは原田さんが付けたものなのです。つまり、ジョフレさんは原田さんにだけ勝てなかったという事です。
原田さんと戦った時の戦績は50戦47勝(37KO)3分無敗でしたし、なんと17連続KO中でしたからね~。

えぐ。いや、えぐ過ぎるやろ!
でしょう。原田さんの凄さが分かりますよね!
...
原田さんのジョフレに勝利してバンタム級の王座を獲得した訳ですが、それ以前にフライ級の王座も獲得しています。当時19歳だったのですが、タイの『ポーン・キングピッチ』選手を相手にTKO勝ち。この時の相手の戦績は24勝3敗でしたし、3回防衛中の難敵でした。

当時のチャンピオンたちは皆強かったんやろうな~。
ですね。それは間違いありません。
原田さんはポーン選手と再びタイで戦い、防衛戦を行っているのですが、疑惑の判定で敗れています。

アウェーの洗礼ってやつ?
ですね。原田さんは1ラウンドにダウンを奪ったかのように思いましたが、カウントされず、そして8ラウンドには仕留める寸前まで攻めたにも関わらず早めのゴング。
もうめちゃくちゃですよね。原田さんはこの試合の入場時には50メートルほどの距離を30分ぐらい掛かったと発現していますし、しかも蹴られたりしたとも言っていましたね。本当に最悪なタイトルマッチです。原田さんは勿論勝ったと思っています。

必死に減量して試合に挑んでるのに最低な事をするもんや。
ね。本当に信じられません。このようなアウェーのタイトルマッチが
まだあるんです。

え?まだあるん?!
はい。ビックリでしょ...
その試合は1969年に行われました。バンタム級より1つ階級が上のフェザー級でのタイトルマッチだったのです。
相手は『ジョニー・ファメション』選手でチャンピオンでした。敵地オーストラリアで開催されたこの試合が、これまた酷かったのです。
なんと、原田さんは2ラウンド、11ラウンド、14ラウンドにダウンを奪い、誰がどう見ても勝ちだと思われる試合に判定で敗れたのです。

まじか~...
はい。またもやアウェーの意味不明な判定で引き分け。という事は王座奪取ならず。それが不満だったのか、相手選手の地元もブーイングしていたようですからね。これが真実を語っています。
この選手とは日本で再戦したのですが、14ラウンドにKO負けし、王座獲得はなりませんでした。そして原田さんは引退します。

こんな選手と戦ってもモチベーションは上がらんわな。
ホントね。悔しいですね~
ファイティング原田が戦ったエデル・ジョフレが凄すぎる!
先ほども説明した『エデル・ジョフレ』選手。歴代最強と言われるぐらい強かったのですが、彼は引退してから3年経ってから再び復帰しています。
その時の年齢は33歳で、とっくにピークを過ぎていますね。階級もバンタム級からフェザー級にあげています。周囲は反対していたようですが、それはやはり再びチャンピオンになる可能性が低いと感じたからでしょう。
ですが復帰後、ジョフレ選手は14連勝。復帰してから約4年後にタイトルマッチにこぎつけます。相手は『レグラ』選手で、戦績が驚異の『132勝9敗4分』。

ヤバい。ヤバすぎる!!!で、まさかの...?
そう、そのまさか。ジョフレ選手は勝利し見事世界チャンピオンに返り咲きます。それも、二階級制覇という形です。その後も勝ち星を重ね、10戦負け無しでした。

ジョフレが歴代最強と謳われる意味も分かるわ。ホンマに凄い選手やってんな。
ファイティング原田の評価を遂に井上尚弥が上回る?!米国の評価と当時の視聴率が凄すぎ。
海外では今もなお原田さんが歴代で最も偉大なボクサーと言われています。
原田さんは『世界ボクシング殿堂』に選ばれており、日本ボクシング界に大きな功績を残した人物です。殿堂入りする。それ即ちボクサーにとって最も名誉な事だと言ってもいいでしょう。彼が歴史上最も優れた日本人ボクサーなのは言うまでもありません。
他には『国際ボクシング名誉の殿堂博物館』にも選出されていますからね。
そして日本では『旭日小綬章』を授与されています。ボクシングというスポーツにおいて、多大なる功績を認められたのでこの賞を授与されたという事です。影響力があり、当時原田さんの事を知らない人はいませんでしたからね。何せ、視聴率が半端じゃなかったのですから。

そうなん。30%ぐらい?
いやいや、その程度ではありませんよ。
先ほど説明した『エデル・ジョフレ』選手とのタイトルマッチでは驚異の『63.7%』。という事は、2人に1人以上はテレビを見ていた事になります。他の試合も50%を超える事が多く、これらの数字を見ると原田さんの知名度の高さが伺えますね。

ヤバすぎ。今この視聴率を取る事は不可能に近いな。
ですね。そんな原田さんの評価を上回ろうとしているのが、皆さんご存知の井上尚弥選手。彼はプロデビューしてから現在まで負け無し。WBSSでも優勝し、世界的に評価が鰻登りです。

階級の割にKO率が高いし、モンスターって言われてるもんな。
はい。彼こそ日本ボクシング史上最高傑作だという人も多いですね。
そんな彼を『アメリカのボクシング誌(リングマガジン)記者であるライアンさん』はこう言っています。
日本ボクシング界でナンバーワンはファイティング原田。
しかし井上が日本ボクシング史上最高のボクサーになる事に疑いの余地はない。

と、言う事は井上尚弥がファイティング原田を超えるって事?
そう言う事になりますよね。時間の問題だという事でしょう!
...そしてよく考えて下さい。井上選手は現在PFPに名を連ねていますよね?原田さんは日本ボクシング界の歴史上最も偉大なボクサーだった原田さんはPFPに選ばれていたのでしょうか。調べてみました。
ファイティング原田が現役だったころはPFPに名を連ねていた?
『リング』誌の初代編集長だった『ナット・フライシャー』さんが1972年に選んだオールタイムのPFPを上位から順に。
George Dixon
Pete Harman
Kid Williams
Eder Jofre
Joe Lynch
Bud Taylor
Johnny Coulon
Frankie Burns
エディ・カプリ
Panama Al Brown

ファイティング原田の名前がない。
そう、無いんです。井上選手は2020年現在PFPに選ばれているのに原田さんはPFPに選ばれた事は無いんです。なんかモヤモヤしますね~。
しかし、現在の『リング誌編集長(ダグ・フィッシャーさん)』は、こう言っています。
井上は既にファイティング原田の直ぐ後ろにいる。才能は並んでいる。
井上はPFPトップ3に相応しい。
この発言に矛盾を感じるのは私だけでしょうか...

せやな。井上はPFPに選ばれてるけど、原田は選ばれてない。でも、まだ原田の方が歴史上偉大だという矛盾やな。
そうですね。モヤモヤ~。
ファイティング原田の弟もボクサーだった。
左です。
画像出典元:『picuri
実は原田さんには弟さんがいます。(お亡くなりになられましたが)
彼のリングネームは【牛若丸原田】でした。彼の持ち味はタフで、そのタフさはファイティング原田さん以上だったとも言われています。日本タイトルを二階級制覇するなどしていますが、世界チャンピオン獲得はなりませんでした。というより、世界に挑戦する事すら出来なかったのです。

ファイティング原田の弟やのに世界挑戦できへんかったんか~。厳しい世界やな。。。
ですね...非常に勿体ない。。。
ボクサー引退後はファイティング原田ジムでトレーナーを務め、その後は【館山牛若丸原田ボクシングジム】を開き、会長をしていました。
…彼の戦績を紹介しましょう。
70試合36勝(14KO)20敗14分です。

兄よりも戦ってるやん。これは知らんかった。
そうなんです。「チャンピオンになってくれ」と応援したファンも沢山いた事でしょう。
ファイティング原田は結婚して嫁がいる。
ファイティング原田さんの家族に関する情報はかなり少なかったのですが、北島イヨさんという女性と結婚しているそうですね。上記の画像はかなりボケています申し訳ありません。
原田さんとイヨさんが結婚したのはボクシングを引退した後です。結婚式はなんとボクシングの聖地【後楽園ホールのリング上】で挙げたようです。そんな話聞いた事がありませんよね。

スゴイ話。やっぱり現役時代に結婚せんかったんは練習に集中出来へんからかもな。
かもしれませんね。やはり、ボクシングの事だけを考えなければいけませんからね。ただ、イヨさんは陰ながら支えていたのでしょう。
原田さんが引退し、結婚してからはかなり仲良しで過ごしているようですね。
まとめ。
如何だったでしょうか。ファイティング原田さんの現在は【原田ボクシングジム会長】&【世界チャンピオンの会最高顧問】&【日本プロボクシング協会最高顧問】です。現在もボクシング一本です。
この記事を読んで原田さんの凄さが分かったと思います。なにせ、階級が少なく団体もWBAのみという過酷な時代で世界チャンプになっていますから。現在のチャンピオンとは比べ物にならないぐらいの価値ですよね。原田さんが日本の歴史上最高のボクサーだと言われる意味も分かったと思います。
...そんな原田さんの父親の名言を一言。
「男が世に出でる方法。それはひたすら努力し、栄光を掴むことだよ」
最後までご覧いただきありがとうございます。。
コメント