
落合さんはこんな名言を発しています。
「多くの人は自分のやりたいことが何なのか、そしてお金の価値から自由になるためにはどうすればよいのかを分からないように教育されている」。
こんな事を言う人ですから、幼少期はどんな教育を受けてきたのか気になります。父親はあの落合信彦さんでした!
落合陽一の父親は落合信彦で国際政治ジャーナリスト!経歴をずら~っと紹介。母子家庭。
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落合洋一さんの父である『落合信彦』さんは、1942年1月28日生まれの東京都葛飾区出身のジャーナリスト・小説家。東京都立両国高等学校(定時制で2020年現在の偏差値は68)を卒業しています。

意外と皆知らへんけど、有名な人やんな。
ですね。彼は1961年にアメリカペンシルベニア州のオルブライト大学に留学しました。実は奨学金で留学していまして、貧乏だそうです。
実は母子家庭で昼間はトラックの運転手の横乗りなどをして、定時だった領国高等学校に通っていたんだとか。

はい。信彦さんは在学中に兄とともに、レディングの警察運動協議会やオルブライト大学で柔道と空手教室を開いています。
学術引用で世界22位。2018年の世界ランキングに見るテンプル大学のグローバル評価
そして1965年に大学を卒業してテンプル大学大学院に進学。大学院を卒業後は、ジョニーという友達と石油ビジネスを始め、エクアドルで10万バレルの油田を当てるなどして大成功しました。
1バレルが『160リットル』ですから、10万バレルは単純に計算すると『1億6000万リットル』という事になりました。単純計算しただけですから、合ってるかは分かりませんが大体このぐらいだと思います。

桁が凄すぎて全然イメージできへんな。w
ですね。wそして彼は1973年には作家活動に力を入れるために日本に帰国。
その後1977年に「週刊文春」4月14日号で「二人の首領」を発表、9月22日号から「二〇三九年の真実」を連載するようになりました。
『二人の首領』はケネディ事件とロッキード事件の背景に潜んでいるアメリカの二大勢力の物語、ノンフィクションで裏社会に切り込んだ作品だと言われています。
『二〇三九年の真実』は陰謀論を執筆した作品でした。テーマはアメリカの闇。この作品を読んだ人は「抜群に面白い』←こう感じる人も多かったようです。
...その後は、集英社に拠点を移動し『月刊プレイボーイ』にノンフィクションノベル「首狩り部隊」を掲載、その後は主にノンフィクションの記事や単行本など多くの小説を発表してきました。

落合信彦は国際情勢をテーマにしたもんが多いな。
ですね。読み手としたら興味を抱かせる内容ではあります。
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そんな彼は1987年の「アサヒスーパードライ」のCMキャラクターに起用された事がありますし、作家としての長者番付では上位10位にランクインするなど知名度もグングン上がりました。
彼は『オルブライト大学から名誉博士号を授与』『中国の観光大使(山東省)に就任』されるなど、国際的な知名度もありますし、凄い人なのです。

まあ、そんな人から育てられたらそりゃ天才になるよな。
はい。普通の子に育つはずがありませんよね。w
落合陽一の父親『落合信彦』の名言に感動。勇気を貰えるね。
画像出典元:『https://ochyai.wordpress.com/about/』
落合陽一さんお父親である落合信彦さんは、これまでに多くの名言と呼ばれる言葉を残していますが、そのうちのいくつかを紹介します。
「人間、欠点や失敗は恥でもなんでもない。問題は、それらを克服し、こうなりたい、ああいうことをやってみたいという目的観があるかどうかなんだ」
結果を恐れずに自分の目的に突き進むということは、わかっていてもなかなか難しいと思います。人は失敗や挫折することを恐れて、最初に思った目的を忘れてしまうことがありますが、その目的意識を忘れるなということでしょう。

大多数の人間は行動する事を恐れてるから、この言葉に共感することは出来へんかもしれへんけど、起業家たちは納得の言葉やな。
「とにかく、今日やっていることが3年後の自分を作るんだ。という気持ちでやっていかないと、何も始まらないんだな」
この言葉は、今日の失敗にとらわれると立ち止まってしまい前に進みませんが、未来の自分のためと思えば、前を向いて乗り越えられるという意味ではないでしょうか。

めっちゃポジティブな名言や。
「最悪を想定し、最善を尽くせ」
人は最悪のことをあまり想定したくないのですが、敢えて最悪のことを想定する冷静さも必要でしょう。

常に最悪を想定しないと、もし失敗したら立ち直られへんからな。
「魂のないやつが100人集まったってもダメなんだ!ひとりの強力な個人になれ!」
真剣になれる人間にはチャンスが巡ってくるし、そうじゃない人たちがいくら多く集まってもうまくいかないということのようです。

強力な個人か。エネルギー値が高いから、寄ってくる人間も情熱溢れた人ばっかなんやろうな。
「チャンスは突然やってくる。そして考えているうちに行ってしまう」
天災は忘れた頃にやってくるといいますが、チャンスも突然やってくるということでしょう。しかし、せっかくチャンスが来ても躊躇していれば、そのチャンスも逃げいくことを落合氏は経験的に語っています。

人生を振り返った時に、「あの時ってチャンスやったよな~」って思う事が人は多々あるはず。ワシにもある。w
「本気で考えている人は自分一人で肝をくくる。本気になれない人は他人の意見を聞く」
人の意見に左右されてしまう人は、そもそも自分で考えるということが苦手なのかもしれません。そして本気で考えて行動することが大切だということでしょう。

まあでも、これは賛否両論ありそうやな。人によると思う。w
落合陽一が天才になった理由は幼少期の両親の子育てが良かったから。
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#yoichiochiai #singapore
落合陽一は、天才と言われていますが彼の脳を作ったのはやはり子育てが良かったからだと思われます。皆さんご存知かと思いますが、落合陽一さんの経歴は『メディアアーティスト』『実業家』『博士』『大学教員』です。

せやな。テレビで見た事あるけど、多忙過ぎて意味がわからへんかった。wそう思ってる人も多いやろうな。
はいwまさに天才ですね。学歴は筑波大学情報学群情報メディア創成学類を卒業してから東京大学大学院学際情報学府博士課程を修了。そして海外に留学2020年現在はDMMオンラインサロンで「落合陽一塾」を開設しています。

そうそう、落合は2回東大落ちしてるよな?
ですね。落合さんは受験勉強が苦手だと言っていましたし、自分で研究するほうが向いていると言っていた事もありましたが、そんな感じしますよね。
そんな落合陽一さんは、天才といわれているのですが、裏では育て方に問題があったと言われる事も。

何?
...えっと、落合信彦さんは、若い頃から多忙な生活を送ってましたから一人息子である落合陽一さんが生まれてから高校時代まで、ほとんど家に帰ることは無かったのです。ずっとホテル住まいの生活だったといいますからね~...
じゃあ母親がいつも面倒を見ていたのかというとそうでもなく。母親は外資系の航空会社のキャビンアテンダントをしていましたので落合さんの面倒を見ることは難しかったようです。
母親は退職後にメディア放送関係の会社を経営したり、音楽プロデューサーをしたりというキャリアウーマンだったようですから、両親どちらも頭がキレる人だったのです。
落合陽一さんの両親は、落合陽一さんを主体性のある人間に育てようと考え、多くの習い事も欲しい物も、ちゃんとした理由を論理的にプレゼンさせてから与えていたそうですね。ですから落合陽一さんは親の教育によって天才になったということは間違いないと思います。

え、ほな幼少期は誰が面倒見てたん?
これからちゃんと話していきますよ。
①落合陽一のように幼少期から習い事を沢山すれば天才になる?
多忙な両親の元に生まれた落合陽一さんは、主に同居していた祖父母に育てられたそうです。金持ちの落合家族ですから、大分甘やかされて育ったのではないかと思われますが、小さい頃は午前中に幼稚園に行き、午後からは習い事をするといった毎日だったようです。

これ、金持ちの鉄板やな。習い事な。
ですね。
- 月曜日はピアノ
- 火曜日は東大生から算数を習う
- 水曜日は空手などの運動を習う
- 金曜日は画家に絵を習う
ですから、ほぼ毎日習い事をしていたことになりますね。しかも、そうした習い事は全てマンツーマンだったといいますから、特別な家庭環境でなければできることではないでしょうね。

意味がわからへん。w
ね。私たちみたいな凡人には理解しがたいです。w
そして実はその習い事は落合陽一さん本人がやりたいことを見つけ、「こうした理由で習いたい」といった説明をちゃんとしてから許可を得ていたそうなのです。ですから、親や祖父母から無理やりにやらされていたわけではないようなんです。
自分が好きで将来のためにもなると、親を説得してから習っていたから、親からは「○○しなさい」と言われた記憶は全くないそうです。
落合陽一さんは本当に自分がやりたいことを、親に説得してから習い事をしていました。そうした自主性を子供のころから身につけていたことで天才と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

ほうほう、自分の頭でしっかりと考えて情熱を伝えてたんか。幼少期からこんな事してたらそりゃ天才になるわ。
②落合陽一のように欲しいモノを与えれば天才になる?
落合陽一さんは、何かが欲しい時には、何がしたいから欲しいとかを論理的に説明することでお金を出してくれるというルールがあったそうです。そして、欲しいものがあった時は必ず現物支給されていたといいます。

落合家はとにかくプレゼンテーションが大事やという事が分かる。w
はい。ですから、落合陽一さんが何か欲しい物があったときは、その理由やどんないいことがあるのかをプレゼンして論理的に説得させていましたが、こうしたことを子供の頃からしつけられていました。だから地頭が良いのでしょう。
お金持ちだから何でも与えられたかもしれませんが、その欲しい物を子供に論理的に説明させていたことで今の落合陽一さんがあります。
欲しい物を何でも買い与えるのではなく、欲しいもののためにひとつひとつなぜ必要なのかを相手にプレゼンすることで、論理的思考や説得力という社会性を身につけることができたのでしょう。
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#phosphorescence_of_natural_divinity #heymusuko
余談になりますが、落合さんは子供が2人いて幼稚園に通わせないつもりだと言っています。それは何故かというと『集団教育は必要ない』と考えているからだそうです。やっぱり今の時代、個人の力が大事ですし、自分を貫く力が生きていく上で必須ですからね。
まとめ。
落合陽一さんの父親は落合信彦さんで、100冊以上の著作のある作家です。そんな落合信彦さんは、多くの名言を残しており、どの言葉も現代にも十分に通じるポジティブになれる言葉ばかりです。
ネガティブな要素は何一つとして見つかりませんでしたし、そんな人の子供である陽一さんが天才にならない訳がありません。
落合陽一さんは多くの肩書を持っていますが、幼い頃からマンツーマンの習い事をずっとやってきたことと、欲しい物があったときに、なぜそれが必要なのかをプレゼンして親から現物支給されていました。
また、毎日のように習い事をしていましたが、全て親が決めたことではなく、自分でなぜ習いたいのかちゃんと説明してからやっていました。そうした経験があったからこそ、彼が天才といわれるようになったのでしょう。
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