あの有名なブラックエンペラーの創始者である泉輝雄さんはもう亡くなっています。彼は創始者にも関わらず、あまりにも情報が少ないですね。不思議です。
泉輝雄は現在亡くなっている。死因は心筋梗塞。
泉輝雄さんは65歳でお亡くなりになられました。死因は心筋梗塞と言う事です。
ブラックエンペラー公式ホームページより↓
偉大なる、ブラックエンペラーの創始者 故泉輝雄様のご冥福を心からお祈りいたします。
上記の一文が公開されていました。過去、どんな人だったのかなどについては触れられていません。そこが気になる人は沢山いると思うのですが。。。
泉輝雄はどんな男だったのか。
あくまでも噂レベルですが、泉輝雄さんの情報について発信している人が少なからずいました。
- 青いCB750K0に乗っていた
- 民族派の活動をしていた
民族派の活動についてですが、泉輝雄さんは『菊花青年同志會』という右翼団体に所属していたと予想します。何故なら、彼が写っている写真の後ろにその団体の車が止まっているから。
この団体は現在既に解散しています。なので情報はありません。ただ、全日本愛国者団体会議に加盟していたという事が分かりました。
昭和34年結成。
高揚する左翼主体の安保闘争を前に行動右翼の大同団結を目指し設立さる。単一の政治団体化や主義主張の一致等は目指さず、あくまで「国体護持・反共共同戦線」の2点さえ合意すればよいとする各団体の自主性を重んじる組織形態となっている。
加盟団体は大日本生産党、護国団、殉国青年隊、国民同志会、松葉会、日本国粋会、日本義人党、興論社等、設立時78団体。その後増減はあるものの概ね300~400団体前後で推移しており、協議体としては日本最大かつ最古の組織。
ポイントは”日本最大”と言う所ですかね。
…そんなことより泉輝雄さんはブラックエンペラーの創始者だというのになぜここまで情報が少ないのか疑問です。もしかしたら本人は寡黙であまり情報が晒される事を嫌っていたのかもしれません。
泉さんが乗っていたとされるCB750K0の原型
故泉輝雄は右翼ヤクザやんちゃでした
でも弱者には優しく
ヘタレには強くの人間でした。
ダメですか?引用元:『https://www.kyodemo.net/sdemo/r/s_auto_7227/1410401027/』
まあ、有名な暴走族のリーダーですから、かなりヤンチャだったのは言うまでもありません。
…
ブラックエンペラーはバイク好きの集まりで結成されたのが発端ですが、70年代から人数が劇的に増えたみたいです。今の時代は暴走族は少ないですが、当時は半端じゃなく多かったですよね。あの有名な関東連合のルーツがブラックエンペラーだと言われていて、おっかない事が分かります。
...当時ブラックエンペラーに所属していた人物がこんな発言をしてました↓
――BLACKEMPERORは関東連合の中核ですよね?
「勿論そうですよ、俺たち”EMPEROR”が関東連合だ、という自負ありましたね」
――どの位の人数がいたんでしょうか。
「うちの支部だけで2,300人。それと自分らの代は三多摩に総本部を持ってきたのですが、三多摩だけで数千人はいたと思います。いつも久米川にあるボウリング場の駐車場とかで集まって近くの駅前のロータリーで集合しましたが、入りきれませんでしたね」
エグイですよね。考えられないぐらい多いし想像も出来ないレベル。当時の暴走族は道路を守る事をモットーにしていて、それで縄張り争いみたいなのがあったようです。ブラックエンペラーは甲州街道を守っていたという事で、泉輝雄さんは多くの人間を統率していた信頼あるリーダーだったのでしょう。
バイクで走り回る事を目的に活動していたとは、今の半グレとは違いますよね。
まとめ。
今回はブラックエンペラーの創始者である泉輝雄さんの死因について話しました。彼は65歳でお亡くなりになられていて、死因は心筋梗塞だったようです。若い年齢で亡くなったのは、やはり乱れた生活で身体をあまり気遣っていなかったからかもしれませんね。。。
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