高山清司の人柄や性格がヤバい!経歴や司忍組長とのエピソード。


指定暴力団六代目山口組の若頭である高山清司の紹介をしていきましょう。やはりヤクザという事で、性格は残酷極まりないと思うでしょうが、実際はどんな性格をしているのでしょうか。

 

組長である司忍との過去のエピソードを聞くと、義理人情に厚い性格だという事がお分かりになるかと思いますので話していきます

 

武勇伝も紹介していきます。この記事を読み終わるころには、大体の事が分かるのではないでしょうか。

高山清司の経歴をサクッと。

  • まず高山清司の経歴を紹介していきましょう。

1947年9月5日に愛知県津島市で誕生しました。皆さんご存知の通り、名古屋を本部としている弘道会の二代目会長で現在は六代目山口組の若頭です。

これまでどんな逮捕歴があるのか調べてみました。山口組でも名の通った人物ですので、何回も逮捕されているのかと思いましたが、その数何と2回。たった2回でした。初めの逮捕の話は後程します。2010年には恐喝で逮捕されていますね。

まあ、警察からしたら山口組の重要人物を逮捕したいがためのものだったでしょう。こんな理由で逮捕されるとは驚きを隠せなかったはず。

この時の保釈金がなんと15億円という事実もあり、この人がどれだけ山口組で影響力を持つ人物であることがお分かりになるかと思います。しかし、結局実刑が下され服役する事になるのですが。

6年後にムショから出てきましたが、その時の服装も注目されましたね。ヤクザ好きの人が服装をチェックしていたようですが、かなりお高いブランドものを身に着けていたのも記憶に新しいです。

画像出典元:『ヤフー』

上記のジャケットがなんと80万程するんだとか。やはり、保釈金が15億円の男はその辺のチンピラとは訳が違いますね。とにかく、高山清司は山口組の重要人物だという事です。

画像出典元:『ヤフー』

そう、紳助と写真を撮っていた人です。

 

高山清司の人柄や性格がヤバい。

高山清司がどんな人なのか。それを知りたい人は沢山いるでしょう。山口組という表社会とはかけ離れた世界を生きてきた人物ですから、一体どんな性格をしているのか気になってる人も多いと思います。

やはり、全国でもトップのヤクザ組織ですから、その中でもトップに近い存在になるという事は、それなりの人柄を備えていないと駄目です。何様?と思われるかもしれませんが。

...それはさておき高山清司は義理人情に厚い性格だという事が分かりました。それは、親分の司忍とのエピソードを聞くと分かります。因みに高山清司の本名は『高山清志』と言われています。そして司忍の本名は『篠田健市』。だから何って思われるかもしれませんがよく考えて下さい。

』という字が被っていますね。それだけ関係が深いと言われています。恐らく組長の弟分として可愛がられていたので、決意表明したのかもしれませんね。それにより、山口組の発展を断固としたのでしょう。

さて、エピソードを話していきましょうか。

 

高山清司と司忍組長とのエピソードを聞くと義理人情に厚い人物だった。

高山清司の右目が常に閉じていることは分かりますね?ヤクザという事で、過去に抗争にでも巻き込まれたのではないかと考えるのが普通です。私もそう思っていました。

でも、実際は違うようです。れには何と親分の司忍が関わっている事が判明。驚愕の事実ですよね。

あんまり深く知らない人は「刀で斬られた」と思い込んでいるかもしれませんが、実際は違います。何故ならば斬られた痕跡が無いから。

どうやら、司忍のいたずらで右目が閉じてしまったという話があります。意味がわからないと思うかもしれませんが、そう、いたずらです。

高山清司が寝てる間に瞬間接着剤(いわゆるアロンアルフアみたいなもの)で瞼にぬりぬりしたそうなんです。で、高山が気付き無理矢理はがそうとするも出来ず。反って神経を傷つけてしまい、瞼を開ける事が出来なくなったようです。

なんとまあ驚愕の事実なのでしょう。ヤクザだったからもっと凄まじいエピソードがあると思い込んでいた自分が恥ずかしい。

高山の瞼の神経がおかしいだけで、眼球自体は問題ないようなので、指で瞼を上げると見えると言った声もありましたが、そんなの本人にしか分からない事ですね。その真相は恐らく一生分かる事は無いでしょう。

 

で、義理人情に厚いという性格の紹介ですね。

 

そう、先ほどの右目事件で親分の司忍はショックを受け、ヤクザで良くみられる『エンコ詰め』を敢行しようとしたそうです。ですが、高山は司忍に可愛がられていたし、そんな事をされちゃあ困るという事で断固反対。その場で指を落すことはありませんでした。

が、やはり弟分に可愛そうなことをしてしまったという司忍の気持ちは冷めず、結果的に指を落すことに。

高山は引き留めたと思っていましたが、親分がその行為を行ったという事実を知って泣き崩れたようです。どっちもヤクザっぽい思想ですよね。

司忍も自分で決めた事は曲げない性格のようですし、もしかすると高山は覚悟していたかもしれませんが。高山は人間らしい人情を持った人物だという事が分かるエピソードです。親分に恥を掻かせる事を一番嫌っていたようなので、涙を流すことに頷けます。

この話を聞いたら分かると思いますが、エンコ詰めとは自分の身体を傷つけることで相手に謝罪の気持ちを伝えることです。ヤクザ界ではよく見られる光景で、なんと遅刻しただけでエンコ詰めさせられたという人もいるぐらいです。ホント怖いですね。

 

高山清司は山口組のハロウィンの主導者だった?もしそうなら愛のある性格だと思う。

山口組のハロウィンってなんぞや?そう思う人は多分居ないでしょう。これはかなり有名なイベントでした。現在は分裂してますから無くなりましたが、神戸に本拠地を置いているときは40年も続いたイベントのようです。

ヤクザがハロウィン??意味がわからない。←そう思う人が殆どでしょうが、これは実際にあったのです。神戸のヤクザの話によると、その日になると組に子供達がやってくるんだとか。驚愕です。

そして子供が話して来たら、ヤクザがハッピーハロウィンと言ってお菓子を渡すという恒例行事だそう。本当に怖すぎですよね。って言うか、よく子供達行けますね。親からしたら監禁されるんじゃないかとか思ってしまいますが、、、

実は山口組って阪神大震災の時には自警団を作って街の平和を守っていたとの話もありましたね。まあ、そんな話は割愛しまして、高山がそのハロウィンに関係していたかどうかですよね。

調べてみると子供達に現金を配っていたようです。本人が渡していたのではなく封筒に名前が入ったものを別のヤクザが渡していたようですが。何をもってそんなことをしたのかと問われれば、勿論ヤクザのイメージアップ他ならないでしょう。

画像出典元:『naverまとめ』

上記の封筒に、高山と書かれていたそう。この事実を知っても高山の性格を知る事は困難ですね。

 

高山清司の若い頃の武勇伝が怖すぎ。敵には惨く冷酷な性格が分かる。(東陽町事件)

さて、最後に高山の武勇伝を話して終わりにします。

20歳でヤクザの世界に足を入れた高山。司忍と出会ったのは、28歳頃だと思われます。それから2人はヤクザとして一緒に生きてきました。

司忍の話は別記事で書くとしますが、高山の有名な功績の一つに4000人を構成する弘道会という組織を26年間の間に作ったというのがありますね。マル暴だった川原潤一は高山の事を「カリスマ性、威圧感が半端じゃない」と語っています。

ヤクザというだけで怖いのにそれを束ねる統率力がずば抜けているから、あのような異様なオーラをまとっているのでしょう。

そして若い頃の武勇伝ですが、21歳の頃に高山は三代目山口組系鈴木組内弘田組に所属していたのですが、その時大日本平和会山中組の集団に襲われ仲間が亡くなり、その報復を司忍が指揮。

相手をあの世送りにした報復戦に高山は加わったとされ、懲役4年の実刑判決を受けています。やはり本物のヤクザ。やる時はやっています。怖すぎです。

 

高山清司は仲間の為なら自らの死をも恐れない冷酷で非情な人物だという事が分かりました。

 

まとめ。

如何だったでしょうか。高山清司がどんな人か分かったと思います。彼の性格は仲間や親分に対しては義理人情の溢れ、人間らしい人物だという事が分かりました。ですが、その仲間がやられると非道なまでに相手を追い詰める冷酷な人物です。

司忍からの信頼も厚いカリスマ性を誇る山口組の若頭です。

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