
暴走族って最近聞かないですよね。いや、聞いたとしても頻繁には聞かないですよね。最近では半グレ集団など、組織が変わってきているのですが、そのようなグループが出来る前は暴走族がワルの主流だったのです。
そんな暴走族は、主に街をバイクや車で暴走する事を中心に活動していたのですが、現在激減しています。減った理由をまとめました。
暴走族の現在は激減。全盛期と2020年現在を比べるとその差が凄すぎた。
- 警視庁の発表
平成29年末のデータで日本国内の暴走族グループは171団体の構成員は5000人程で、最も多かった4万人から比べると、約8分の1になっています。

やろうな。街でブイブイ言わしてる連中をこの頃見いへんくなったし。
ですよね。まあ、迷惑していてた住民からしたらありがたいですが。w
実は暴走族の構成員の数が最高だったのが1981年で、なんと4万人程いたのです。ですがその頃をピークにその後は数が減っていく事になります。
- 数のデータをお見せしましょう。(警察庁発表)
2005年【1万5086人】
2010年【9064人】

メチャクチャ減ってる事が分かるな。何でそんなに減ったんか気になるわ。
でしょうね。理由は明確にありますので、お話していきましょう。
暴走族が激減した理由①道路交通法改正の影響
暴走族が減少していった一番の理由は警察の取り締まりが厳しくなったこと!
昭和53年に道路交通改正によって共同危険行為等禁止規定が新設されましたし、昭和56年に同規定の点数がグイッと引き上げられ、なんと一度の違反で運転免許の取り消しとなった事もあり、暴走族の減少が一気に進んだとみられています。

なるほどな!そんな背景があったんか~。リアルな話やな。
暴走族が激減した理由②若者が掟に従うのを嫌う為
取り締まりが厳しくなったこと以外にも、激減の理由があるようです。

まだあるんや。
はい。暴走族全盛期に元暴走族だった男性によると、その頃の暴走族はルールは守らないものの、暴走族内部では上下関係が厳しかったそうです。
グループ内では、さまざまな「掟」があって、その「掟」を破ると集団リンチなどがあったといいます。こうした「掟」は現在の反グレ集団の一部にもわずかに残っているようですが、今ではあまり聞かれなくなった風潮のようです。
その元暴走族の話によると、暴走族が減少した原因には、今の若者たちが厳しい掟や規律を重んじる組織に属すること自体、嫌悪感を抱いているのではないかということです。
そう言われると、確かに今の若者はそのような「掟」に従うことが苦手なようです。

確かに!今の時代の若い連中と昔の時代の若い連中の考え方は大分変ったしな~。これは頷ける理由や。
暴走族が激減した理由③若者がダサいと思ってる?!
暴走族が激減していった理由の3つ目として、昔の暴走族の印象として、暴走族=ダサいとか、カッコ悪いというイメージが定着してしまっているようです。

まあ、見た目が派手過ぎるしな。w
はい。wたとえば、昔の暴走族といえば、髪型はリーゼントで、ツナギとか特攻服といわれるもで身をかため、中には甚平姿もありました。そうしたファッションスタイル自体、ダサいというイメージで受け付けなくなったのではないでしょうか。
暴走族に欠かせないのが、通称「族車」と呼ばれていたバイクですが、それはネイキッドベース・チョパーハンドル・背もたれ付きの三段シート・付き上がったマフラー・日章旗や旭日旗の外装といったものが定番です。
そして「族車」のルーツになっているのが、1970年に放映された映画「イージーライダー」でした。
たしかにチョッパーハンドル・国旗柄のタンク・三段シート・突き出たマフラーはイージーライダーに出てくるバイクと同じなのが分かります。
この映画は全米でヒットしましたが、日本での反響も大きく、若者たちの間で起こった「反体制」を象徴した映画でもありました。当時の暴走族の根底思想にそんな反体制的なも、とにかく社会のルールを犯したいといった衝動が若者にあったようです。
そして、そうした思想が若者たちの間になくなった現在では、暴走族はイメージ的にもダサいだけの存在になっているようです。

なるほど。ダサいって思われたら減るんは当たり前やな。w
暴走族が激減した理由④ファッションが変わったから。
最盛期の暴走族は、当時関東で名を馳せたブラックエンペラーをモデルにしたドキュメンタリー映画や、暴走族をテーマにした映画などが流行っていました。そうした映画では、暴走族をヒーローのように扱っているものもありました。
1970年代に流行った「ツッパリ」と共に、若者の間で暴走族が流行したのも同じ時期で、1980年にデビューしたロックバンド「横浜銀蝿」は、ツッパリスタイルを象徴して活躍しました。また、「なめ猫グッズ」が流行ったのもこの時期でした。
その後、1980年代になると、不良少年少女を「ヤンキー」と呼ぶようになりましたが、関西では1975年には既にそうした呼び名がありました。
画像出典元:『https://www.pinterest.jp/pin/589971619909747169/』
当時のツッパリやヤンキーは、暴走族と同じようにリーゼントヘアやパンチパーマ、制服は「短ラン」・「長ラン」、「ドカン」・「ボンタン」といわれる幅広のズボンが流行り、皆平らに潰した学生カバンを持ち、ビーチサンダルや雪駄を常に履いていました。
画像出典元:『ロビンソンパートナーズ』
1985年から1988年にかけて公開された映画「ビー・バップ・ハイスクール」はそんな典型的なヤンキーを、清水宏次朗と仲村トオルが演じて人気でした。
暴走族は、そんなヤンキーと呼ばれるようになった不良少年とファッションが似ている事がわかります。ですから、リーゼントスタイルと独特な暴走族ファッションが廃れていったと同時に暴走族も激減していったといえるのではないでしょうか。

確かに今の時代にリーゼントがおったらドン引きするし、ダサいよな。そう思ったら何であの時はカッコイイって思ってたんか不思議やわ。w
暴走族が激減した理由⑤少子化。
暴走族が激減した理由の5番目には、少子化が影響しているのではないかといわれています。少子化社会の若者は、掟の厳しい暴走族はもちろん、集団そのものを嫌悪するようになっているといいます。
また、かつての暴走族は、20歳以下の未成年たちが中心でしたから、引退するときには代わりに若い世代を暴走族へ入れるというのが習慣でした。少子化が進んでいる現在ではそうしたことも行えない環境となっています。

暴走族はとにかくウルサイ。
暴走族の数は年々減ってきて、以前のようにはうるさくないと思われそうですが、地域のよっては現在でも夜中の騒音に悩まされている人たちもいます。
80年代から90年代の暴走族は、何十台も集まって違反行為を繰り返していましたから、警察も一斉摘発しやすかったようです。しかし、現在の暴走族は小集団化していて、しかも違反行為も確認できないことも多く、警察も捕まえにくい状況になっているようです。
また、最近の暴走族は、曜日や時間が不定期で、ゲリラ的な行動をとるため、通報があったとしても騒音が確認できないことから、現行犯には至らないことが多いようです。

そんな理由があったとは。
警察官ができることは、せいぜい免許証の提示、飲酒の確認、整備不良の確認といったものです。相手が未成年の場合は、保護者に連絡して注意を促すといった程度で終わってしまうのが現状です。
また、小集団の暴走行為による騒音は、警察の管轄ではなく運輸省の管轄だそうで、マフラーがないといった整備不良に該当しない限り警察は手を出せないそうです。

ま、暴走族が少なくなったから夜寝れるようになったし、今後は消えたらいいのにな。って思うけど、ちょっと寂しい気もする。w
ちょっと。w
暴走族出身の芸能人たち。
暴走族出身の芸能人といえば、国内最大の規模を誇っていたブラックエンペラーの元総長だった宇梶剛士さんがいます。しかし、元暴走族の芸能人には宇梶さんだけではありません。
画像出典元:『https://windy-windy.net/satamasaki』
たとえば、お笑いコンビの「バッドボーイズ」は2人共暴走族でした。佐田正樹は、福岡最大勢力の「福岡連合」の総長で、相方の大溝清人も同じ「福岡連合」の暴走族でした。
また、同じ福岡出身のお笑いコンビ「パンクブーブー」の黒瀬純も暴走族でした。黒瀬と佐田とは実家が近くだったそうで、佐田の自伝小説「デキメン」にも実名で出てきますが、実際に佐田を土下座させたこともあるそうです。黒瀬が所属していたのは「悪死魔」で副総長をしていました。
まとめ。
1981年、暴走族の構成員の数は4万人もいましたが、その頃をピークに除々に減少し、2010年には警視庁が統計を取るようになってから初めて1万人を割る9064人となりました。
平成29年末のデータでは日本国内の暴走族グループは171団体で、構成員は5000人程度ですから、最盛期の約8分の1にまで激減しています。
暴走族の激減の理由は色々とありますが、一番の理由が昭和53年に道路交通改正によって共同危険行為等禁止規定が新設され、締まりが厳しくなったことでしょう。
また、現在の若者からしたら、暴走族のイメージがダサいということや「掟」が厳しく馴染めないといった理由もあるようです。
コメント